Chapter11
優れた社員が意欲的に働く環境や仕組みを整える
人事部のみなさんは、夏季賞与の支給準備の最中でしょうか。給与、昇進、職場の人間関係、仕事の面白さ、自身の成長...。働く人のやる気が上がる要因は様々です。今回は、社員のエンゲージメント(社員の働く意欲と会社に対するコミットメントの高さ)を高める動機づけについて考察します。最近の調査や、「フロー理論」といった心理学の知見も交え、創造的な仕事をする人の動機づけを深堀りしていきましょう。
<相談内容>
開発部長から、「最近、若手の開発マネジャーの転職が続いて困っている。仕事ができて意欲の高い人材から辞めていく。昇給、昇進といった処遇を見直すべきではないか」と相談されました。処遇を改善すれば、離職は減るのでしょうか?
(30代 男性 IT企業 人事部長 Y.K.)
【解説】
2011年のグローバル対象の調査によると、日本企業の社員のエンゲージメントは世界最低水準だそうです。自身の仕事と組織に対する誇り・満足感、会社への愛着、今の仕事を続ける意思、これらすべてが調査対象29カ国中最低です。「転職を考えたことがほとんどない」と答えた人は26%に留まります[*1]。残りの約7割は、転職を少なからず意識したことがあるのです。エンゲージメントの低さは、仕事の生産性の低さにつながります。
また、仕事に対する意欲が湧かなければ、成果は出せません。現に、日本の一人当たりの労働生産性は、主要先進7カ国では20年連続最下位です[*2]。生産性が低ければ、企業業績は上がらず、賃金の上昇、雇用維持も難しくなります。これは経営だけでなく、社員にとっても憂慮すべき事態です。今後ますます少子高齢化が進み、日本企業には少ない労働力で高い業績を上げることが求められるにも関わらず、多くの社員にとって「やる気が出ない」状況が続いています。どうしたら働く人たちが組織に魅力を感じて、仕事に打ち込んでくれるのでしょうか?動機づけの観点からY.K.さんと一緒に探りましょう。
「モチベーション3.0」を覚えていますか?~動機づけ要因の変化と背景~
本連載のChapter1では、動機づけ要因の変化を取り上げました。米国のベストセラー作家、ダニエル・ピンク氏は、これからの知的産業資本社会では、高度に創造的な仕事をする人に対し、創造性発揮を促す内発的動機づけ(「モチベーション3.0」)が重要だと唱えます。「モチベーション3.0」とは、個人の内面から湧く意欲であり、成長実感、達成感、知的な興奮、社会貢献などを指します[*3]。
2000年以降に働き始めた若手・中堅社員、「ミレニアル世代」の仕事観にも注目しましょう。1980年代から2000年にかけて生まれたこの世代は、ソーシャルネットワークの文化を背景に、他者との"結びつき"を大切にします。彼らは、地位や報酬を手に入れマネジメントをするよりも、創造すること、他者と共有、協働することを重んじます。そのため、職場を競争の場ではなく、他者との協創の場、自身の成長に向けた学習の場と捉える傾向があります[*4](Chapter10参照)。
Y.K.さんの会社の若手開発者の大半は、創造的な仕事に携わるミレニアル世代でしょう。昇給や昇進といった外発的動機づけの強化は、彼らのエンゲージメント向上に対して効果的なのでしょうか?
働く意欲の源泉は「自分のやりたい仕事ができる」こと
最近の調査から、日本の実態を捉えましょう。2015年3月の転職動向調査[*5]では、転職先を選ぶ際の最優先項目のトップは「やりたい仕事があったから(24.9%)」で、入社の最大の決め手は「やりたい仕事ができる(34.6%)」でした。この結果を、ミレニアル世代に相当する26~30歳、31~35歳の年令層に絞ってみたのが次の表です。転職先を選ぶ際の優先項目については「やりたい仕事があったから」が26~30歳の層(24.4%)、31~35歳の層(31.5%)ではいずれもトップ。入社の最大の決め手も「やりたい仕事ができる」が26~30歳の層(35.3%)、31~35歳の層(39.0%)の両方で、同じくトップです。どの結果も、2位以下の項目を10ポイント以上引き離しています。
「転職先を選ぶ際の最優先項目」「入社の最大の決め手」 年令層別調査結果(抜粋)
(単独回答、回答者数:26~30歳156名、31~35歳146名)
別の調査(2014年)では、就業中または就業経験がある人に対し、「仕事のどこに働きがいを感じているか(感じていたか)」について聞いています[*6]。「自分のやりたい仕事ができている(43.3%)」と答えた人が最も多く、「仕事を通じて自分が成長できている(40.0%)」、「責任ある仕事を任されている(39.9%)」、「働きに見合った給与が支払われている(34.6%)」が続きます。仕事そのものの面白さ、成長実感、責任感といった個人の内なる欲求が、多くの人の仕事の原動力となっているようです。
外発的動機づけが時代と合わなくなってきた?
企業はこれまで、外的報酬が社員の意欲を高め定着につながると考えて、評価や賃金、昇進などの制度を充実させてきました。Y.K.さんの会社の開発部長の提案も、この考え方に基づいているのでしょう。
一方、外発的動機づけには限界があります。一定水準の報酬は、仕事のやりがいや職場への愛着に欠かせませんが、強い動機づけの要因にはならないようです。2014年の調査では、仕事にやりがいを感じられない理由は「収入への不満(41.0%)」、職場に愛着が湧きづらい理由は「給与の低さ(50.0%)」が第1位でした。しかし、仕事にやりがいを感じる理由では、「納得のいく収入を得られている(11.7%)」は全体の11位、職場に愛着を感じる理由では、「給与が高い(7.8%)」は全体の9位で、あまり重視されていません。ちなみに、この調査でも、仕事にやりがいを感じる理由で最も多いのは、「やりたい仕事ができている(33.3%)」。職場に愛着を感じる理由では、「人間関係がよい(41.1%)」でした[*7]。
前述のピンク氏は、20世紀の産業資本主義社会における大量生産、マニュアル化の下では、仕事は楽しくない反復作業だった、と述べています。そのため、働く人の多くは、できるだけ楽をしたいと考えていました。そのような人たちが怠けずに働くようにするには、賃金、賞罰といった外発的動機づけが必要だったのです。彼は、創造的で自主性を発揮できる仕事に就く人が増える中、外発的動機づけは現代の大半の仕事内容と相容れない、と指摘します[*3]。
また、外発的動機づけを不用意に用いると、内発的動機づけが損なわれることも明らかになっています[*8]。動機づけ研究の第一人者、デシ博士は、挑戦意欲をかき立てる難解なパズルを二つのグループに解かせ、どれだけ自発的に取り組むのかを観察しました。片方のグループは、初めは無報酬で、途中で結果に対し金銭的報酬を与え、その後また無報酬に戻します。メンバーの取り組み意欲は、金銭的報酬によって上がりましたが、無報酬に戻した途端、大幅に下がりました。一方、ずっと無報酬だったもう片方のグループは、パズルに熱心に取り組み続けました。はじめは無報酬でパズルのやりがいを楽しんでいた最初のグループの人たちにとって、パズルを解く楽しい行為が「金銭的報酬を得る手段」にすり替わったことで、興味を失ったのです。外発的動機づけは、一時的には効いても、長期的には、仕事自体への興味を損なうこともあるようです。
内発的動機づけは、外発的動機づけと比べて、創造性、責任感、行動の健全さ、持続性といった点で勝ると言います[*8]。ハーバードビジネススクールのアマビール教授によると、人は仕事への興味、満足感、挑戦に動機づけられた際に、最も創造性を発揮するそうです。金銭などの外的報酬に動機づけられた人は、早く確実に成果を上げようとして、前例に沿って手堅い手段を取りがちです。そのため、試行錯誤自体を楽しみ、より創造的な解決法を粘り強く編み出すことにつながらないのです[*9]。
1万人以上の米国の科学者や技術者を対象にした研究では、知的な挑戦、自律性、改良を求める内発的欲求が高い人は、金銭的報酬を求める外発的欲求が高い人に比べ、より多くの時間を仕事に費やしました。知的な挑戦への欲求は、生産性(この研究では特許出願数)向上に最も関連することも明らかになりました。外発的欲求よりも、内発的欲求、特に知的な挑戦への欲求に動機づけられた科学者の方が、イノベーションに貢献していたのです[*10]。
グーグルには、就業時間の20%を自分の好きなプロジェクトに自由に使える「20%ルール」[*11]という制度がありますが、プロジェクトが成功しても、追加の金銭的報酬は支払われません。例えば、同社では、大規模な自然災害において、自社のプロダクトを使って被災者を支援してきました。その多くは、社員が使命感の下、自発的に立ち上げた無報酬のプロジェクトから生まれたものだそうです。20%ルールのプロジェクトは、仕事自体が社員の内発的欲求をかきたてる報酬となるため、金銭的報酬を支払う必要がないのです[*12]。
人が仕事に夢中になる「フロー体験」とは
グーグルのようなイノベーティブな企業で働く技術者たちは、頂点を目指し、努力をいとわず、長時間猛烈に働きます。好奇心旺盛で、興味の対象にのめり込み、斬新なアイデアを次々と生み出すクリエイティブなエネルギーにあふれた人たちです。同社のシュミット会長は、職場でも自宅でも働きすぎてしまうほど面白い仕事、自由に働くしくみを提供することが、彼らのエンゲージメントを高めると言います[*12]。人を仕事に夢中にさせるメカニズムとは何なのでしょうか?
近年注目されているのが、米国の心理学者チクセントミハイ博士が唱える「フロー理論」です(「フロー理論」のエッセンスについては、博士のTEDスピーチを参照)。Y.K.さんには、仕事や遊びに集中しすぎて我を忘れ、あっという間に時間が経って「楽しかった!」と感じた経験がありませんか?例えば、コンピューターゲームに没頭している時に生み出される、頭はクリアで心は高揚し、活力を感じるような瞬間です。博士は、ロッククライマー、チェスプレーヤー、バスケットボール選手などへのインタビューを重ね、高いパフォーマンスを上げる人たちが、高度に集中している時に体験する最高の瞬間があることを突き止めます。そして、その高揚した心理状態を、「フロー(Flow)」と名付けました[*13]。
博士がインタビューしたビジネスリーダーたちは、「自分を成長させてくれる新しいチャレンジが大好きで、仕事が楽しくて仕方ない」、「興味あることを心の底から楽しんだ結果、成功した」と話します。定型作業に携わる作業者の中でも、自身の作業がいかに手応えがあり、満足感を得られる行為かを熱く語る人がいました[*13]。このような人たちは、職場においてフローを見つけ、仕事を心から楽しんでいるのです。
チクセントミハイ博士は、フローが機能している最適な職場として、創業期のソニーを挙げています。ソニーの設立趣意書には"技術者が、社会の必要性に応えながら喜びを持って思いきり働ける職場づくりを目指す"という意味の一節があります[*14]。博士は、ソニーの半世紀にわたる成功は、このビジョンを重んじ、職場でフローを実現した結果だと賞賛します[*13]。ソニーの元上席常務で、CDやAIBOを開発した土井氏も「創業期のソニーが大躍進した理由は、社員全員がフローを体験する"燃える集団"だったからだ」と語っています[*15]。
フロー体験が自己成長をもたらす
では、職場でフローを引き起こすにはどうすればよいのでしょうか?フロー体験には、いくつかの条件がありますが、「活動の目標が明確であること」、「挑戦のレベルと自身の能力・スキルのバランスが高度に取れていること」、「行為に対する迅速なフィードバックが得られること」が重要です。
創造的な仕事に携わる人は、能力・スキル向上への欲求が高いため、成長を実感できる仕事を求めます。彼らにとってフロー体験は、課題への挑戦を通じて学び、目指すゴールを達成し、自己成長を実感するプロセスです。そのため、仕事の課題・目標が明確で成果が捉えやすく、簡単すぎず難しすぎず、能力・スキルを十分に発揮して達成できるレベルの業務に取り組むことが大切です。課題が簡単すぎて退屈に感じたり、難しすぎて不安になるとストレスが生じ、楽しみを感じにくくなります。また、有益なフィードバックをしてくれる上司、同僚、顧客がいないと、創意工夫がうまくいったかどうかが確かめられず、成長実感が湧きません。フローを味わって充実感を得ることで、さらなる能力・スキル向上に取り組み、難易度が高い挑戦で再びフローを味わうことを繰り返す。この自己成長のスパイラルを実現できる職場が、創造的な仕事に携わる人にとって望ましい職場です。
例えば米国には、ティーチ・フォー・アメリカ(以下TFA)というNPO団体があります。TFAでは、ハーバードのような全米トップクラスの大学出身の優秀な人に、教育困難校で2年間教師をしてもらいます。米国では、教師の仕事はハードで、収入も地位も高くはなく、あまり人気も高くありません。それでもTFAは、グーグルやアップル、ディズニーなどを凌ぎ、全米就職人気ランキングで2010年にトップ、その後も上位にランキングされる「理想の就職先」です。マッキンゼーやJPモルガンといった高収入が約束される企業を断って、TFAで働く人もいるそうです。その理由は、厳しくやりがいのある教師の仕事が、彼らにとって、リーダーシップ、コミュニケーション能力、問題解決力などを磨く、飛躍的な自己成長のチャンスだからでしょう。実際に、米国の名だたる複数の企業が、TFAで働いた人材の能力を高く評価しています[*16]。ところが同じ仕事を続けていると、自身の能力・スキルの向上に伴い、相対的に仕事の難易度が下がるため、フローを感じにくくなります。そのためTFAは活動を2年に限定しており、活動を終えた人はより難易度の高い挑戦の場を求めて、ビジネス界や教育界で次のキャリアを踏み出すのです。
Y.K.さんには、外的報酬を検討する前に、開発マネジャーたちの内発的動機づけのあり方を、開発部長と探ることをお勧めします。Y.K.さんの会社の開発部門には、仕事で喜びを感じられる要素がどのくらいありますか?先述のチクセントミハイ博士の実験では、日常生活からフローを引き起こす行為を取り除くと、被験者はすぐに行動が鈍くなり、心身の不調を訴えて、集中力が低下したそうです[*17]。フローの少ない、高揚感を味わえない職場で、活き活きと働くことは難しいのです。培った能力・スキルが十分に発揮できる仕事、挑戦ができて成長実感が得られる仕事、信頼する上司や刺激的な同僚との協働、新しい知識・スキルを学ぶ機会などは、きっとエンゲージメント向上の源泉となるはずです。
リンクは記事掲載当時のものとなります。
*1:
「Engaging Level in Global Decline」A Kenexa Research Institute WorkTrends report、2011年。世界29カ国のフルタイム社員3万1000人以上が回答。エンゲージメント指数の全調査国平均は55%で、日本は31%。
*2:
「日本の生産性の動向2014年版」公益財団法人日本生産性本部、2014年
*3:
『モチベーション3.0』、ダニエル・ピンク著、講談社、2010年
*4:
Brown, J.,「The Entrepreneurial Learner-Thriving on Change in the 21st Century」, ASTD ICE 2013基調講演
*5:
リクルートキャリア「第28回転職世論調査」、2015年3月。リクルートの転職サービスの登録者の中で、2014年6月から11月の約半年間に何らかの手段で転職した2,426名のうち、563名が回答。
*6:
日本労働組合総連合会「ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)に関する調査」、2014年9月。回答者数968名。内訳は、現在就業中の人が765名、現在は専業主婦・学生・無職であるがこれまでに就業経験がある人が203名。
*7:
日本能率協会「ビジネスパーソン1000人調査」、2014年7月。回答者数1,000名。
*8:
『人を伸ばす力』エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト著、新曜社、1999年
*9:
Teresa M. Amabile, "How to Kill Creativity", September-October1998 issue of Harvard Business Review.
*10:
Henry Sauermann and Wesley M. Cohen, "What Makes Them Tick? Employee Motives and Firm Innovation," NBER Working Paper No. 14443, October 2008.
*11:
就業時間の20%を自分の好きなプロジェクトに自由に使える「20%ルール」は、エンジニアの創造性を高め、グーグル・ニュースやGmailなどこれまでにない製品やサービスを生み出しています(Chapter1参照)。
*12:
『How Google Works』エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ他著、日本経済出版社、2014年
*13:
『フロー体験とグッドビジネス』M.チクセントミハイ著、世界思想社、2008年
*14:
「設立趣意書」ソニー株式会社ホームページ 企業情報、2015年5月
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html
原文は、「これは、技術者たちが技術することに深い喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思いきり働ける安定した職場をこしらえるのが第一の目的であった」
*16:
『グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」』松田悠介著、ダイヤモンド社、2013年
*17:
『楽しみの社会学』M.チクセントミハイ著、新思索社、2001年