英語学習の面白さや、英語を使ったコミュニケーションで得る喜びなど、「英語の楽しさ」を皆様に体験していただきたい―。そのような思いを込め、IIBCは2021年より、10月19日を「TOEICの日」として制定しました。今号では、それを記念した、3つの特別企画をお届けします。
- 国際化
- 英語学習
- TOEIC Program
PART① TOEIC® Program誕生秘話
特別企画第1弾は、TOEIC Programが誕生するまでの歴史物語です。現在では、世界の160カ国で実施される「世界共通のテスト」となっていますが、実はその誕生に、3人の日本人が大きく関与していました。事業を立ち上げるべく、彼らが抱いていた熱き思いや、妥当性・信頼性・公平性の確保を最も重視した、TOEIC Programの開発ストーリーなどを紹介します。
誕生のきっかけは、2人の人物の出会い
TOEIC Programが産声を上げたのは、今から42年前のことです。1979年12月2日に、第1回TOEIC L&R公開テストが、札幌・東京・名古屋・大阪・福岡の5都市で開催され、3,000名が受験しました。
TOEIC Programは、ある2人の人物の出会いがきっかけとなり誕生しました。その人物とは、北岡靖男(1928~1997年)と、渡辺弥栄司(1917~2011年)です。
北岡は、アメリカのニュース雑誌「Time」で知られる、Time社に24年間勤務していました。長らく営業畑を歩んだ後に、アジア総支配人を務めたという経歴の持ち主です。1974年にTime社を退職すると、国際コミュニケーションズを設立。東京の青山ビルにオフィスを構え、日本人の英語でのコミュニケーション能力を育成する、教育プログラムの開発を行っていました。
一方、渡辺は、通商産業省(現・経済産業省)で、官房長や通商局長などを歴任。66年に退官した後、実業家の岡崎嘉平太氏に師事し、断絶していた中国との国交を正常化させることに注力しました。日中の国交正常化が実現した72年に、日中経済協会を設立し、理事に就任。同協会のオフィスも青山ビルで、国際コミュニケーションズと同じフロアにありました。
同じフロアにオフィスを構える北岡と渡辺が、顔見知りになるのはごく自然な流れでした。あるとき、いつものように顔を合わせた2人の話題は、日本人の英語教育へと発展しました。
「渡辺さんは、今の日本の英語教育は、あれでいいと思いますか」
最初に言葉を発したのは、北岡でした。後に渡辺は、信念にあふれた強い口調であったと振り返っています。今考えれば、この北岡の一言が、TOEIC Programが誕生する発端になったのかもしれません。
日本人の英語力の現状をめぐり意気投合
北岡は外資系企業で働く国際派のビジネスパーソンとして、グローバルなビジネスシーンにおける、日本人の姿をつぶさに見てきました。英語でのコミュニケーションが思うように図れず、商談や会議の場で実力を発揮することができない日本人ビジネスパーソンたち……。その姿は北岡にとって歯がゆいものでした。
当時の日本は、既にGNP(国民総生産)世界第2位と、まごうことなき経済大国。70年代に入ってからは、自動車や電気機械、半導体などの分野が成長を遂げ、積極的に海外展開を進めていました。
一方、その頃のアメリカの産業は、省力化や労働生産性の向上などにおいて日本に後れを取り、国際競争力を低下させていました。特に自動車の分野では、小型で燃費の良い日本車に市場を席巻され、アメリカの自動車メーカーがレイオフ(一時的解雇)を行うようになるなど、日米経済摩擦へと発展していくような情勢にありました。
日本の企業が海外へと市場を拡大していく状況の中、英語でのコミュニケーション能力が乏しいため、あつれきが生じた場合、それを解消することに苦労している日本人ビジネスパーソンを見るにつけ北岡は、「日本人の英語でのコミュニケーション能力を向上させないと、これからの日本は、国際ビジネスの世界で通用しなくなる」という思いを強くしていたのです。
一方、渡辺もまた、国際舞台での経験を数多く踏んできた人物。通商産業省時代には、ソ連(現・ロシア)のモスクワで駐在経験もあります。また第2次世界大戦中に、インドネシア語をマスターして不自由なく話せるようになるなど、高い言語学習能力を有していました。
渡辺も「これからの日本人は、相手が話していることを理解した上で、自分の意見を明確に伝えるといった、生きた英語力を身に付ける必要がある」と考えていました。
北岡と渡辺は、日本人ビジネスパーソンの英語でのコミュニケーション能力や、日本の英語教育の状況をめぐり意気投合。「約1億人いる日本人のうち、最低1割が英語を使いこなせるようになれば、国際社会における日本のビジネスは、大きく変わるだろう」と語り合いました。
英語力を客観的に測る「モノサシ」を作りたい
ではどうやって、日本人の英語でのコミュニケーション能力を向上していけばいいのか―。2人は、国際舞台でビジネスを行っていく上で、どんなレベルの英語でのコミュニケーション能力が求められ、その能力が今どのレベルにあるのかを、客観的に把握できる「モノサシ」が必要ではないかと考えました。「モノサシ」となるテストがあれば、目標にすべき英語でのコミュニケーション能力と、現在の自分の能力との差を、具体的な数値として把握でき、その差を埋めていくための目安や計画が立てやすくなります。
では実際に、そのような「モノサシ」をどのようにして作っていけばいいのか……。そう考えていた北岡に対して、重要なアドバイスを行ったのが、三枝幸夫(1931~2005年)という人物でした。
三枝はかつて、北岡とともにTime社に勤めていました。北岡が退職して国際コミュニケーションズを設立すると、三枝も同社に移り、引き続きともに働いていました。三枝は北岡に、「そうした『モノサシ』を作りたいのなら、ETSにテスト開発をお願いするのが良いのではないか」と助言したのです。
その後三枝は、英語学の研究者として早稲田大学に移り、TOEIC Programを用いた、英語能力に関する様々な調査・研究に携わりました。
熱意と粘り強さで交渉を成立させる
三枝が北岡に話したETSとは、1947年に設立された、アメリカのニュージャージー州プリンストンに本部を置く、非営利教育団体です。2,500人以上いるスタッフのうち、1,000人以上が、教育学や心理学、統計学や社会学、コンピュータサイエンスなどの専門家です。
ETSの中でも研究開発部門は、テスト開発において様々な実績を残していました。64年には、日本でもおなじみのTOEFL®テストを開発。TOEFL®テストは、主に大学や大学院といった、アカデミックな場面において必要な英語運用能力を測定するテストです。そのほかにもETSでは、GRE(大学院入学共通試験)などの試験を開発してきました。
三枝から助言を受けた北岡は、早速ニュージャージー州プリンストンにあるETSを訪ねます。しかし最初のうちは、交渉のテーブルにつくことすらままなりませんでした。それまでETSでは、個人からテスト開発の依頼を受けたことは一度もありません。ましてや、遠く離れた日本からの依頼です。ETSが消極的になるのはやむを得ないことでした。
当初ETSは、北岡が信頼に足る人物であるかどうかにも不安を抱いていたようです。ただその点については、北岡の以前の職場であるTime社に、ETSが身元照会のため電話をしたところ、同社トップの1人から、「ああ、Kit(北岡の愛称)ね。もちろん知っていますよ。彼は元気ですか」という返事があったことで解消しました。
北岡は挫けることなく、何度もETSを訪ねました。当初ETSは、「英語を母語としない人たちを対象とするテストは、既にTOEFL®テストがあるのだから、新たにテストを作る必要はない」という姿勢をとっていましたが、北岡の言葉に次第に耳を傾けるようになり、77年9月、ようやく正式に交渉がスタートしました。
北岡は交渉の場で、「異なる言語や文化、伝統の中で生きてきた世界中の人たちの間でビジネスを成り立たせるためには、共通の言語として英語を身に付けなければならない。そのために、ビジネスの現場で必要な英語力を測る、世界共通のテストが求められている。TOEFL®テストで培ってきたノウハウを、ビジネスパーソンを対象にしたテスト開発に生かせれば、ETSは世界に対して多大な貢献を果たすことができる」と訴えかけました。
この北岡の言葉に、ETSのスタッフも強く心を動かされました。テスト開発担当ディレクターだったプロタース・ウッドフォード氏は、「TOEIC Programは、北岡の熱意と献身的な粘り強さがあったからこそ実現した」と述べています。こうして北岡はETSとの交渉に成功したのです。
一方、国内では、渡辺がテストを実施・運営するための組織作りに奔走していました。渡辺は「このテストは、貿易促進に求められる人材を育成するために必要なものである」という考えから、通商産業省に認可を申請しました。同省も渡辺の主張に賛同し、無事認可を得ることができました。
妥当性・信頼性・公平性のあるテストを追求
北岡との交渉に合意したETSでは、早速新しいテスト、すなわちTOEIC Programの開発に着手しました。「英語によるコミュニケーション能力を正確に測定し、目的や目標に照らしてどのレベルに位置するか、それぞれに基準を与えることができるテストシステム」というのが、TOEIC Programのコンセプトになりました。さらに、英語学習の初級者から上級者まで、多様なレベルの受験者の英語力を測定できるものであることや、特定の国や文化に偏らずに、国際共通語としての英語力を測定できるものであることも条件とされました。
TOEIC Programは、日常生活やビジネスの現場で必要とされる英語力を測るためのテストです。TOEFL®テストのように、アカデミックな場で必要とされる英語力を測るテストとは、異なるタイプの設問が必要となります。そこでETSは調査団を編成し、ビジネスの現場でどのような英語が使われているのかを調査・分析しました。その結果、次のようなことが分かりました。
- 英語圏以外の人たちが英語を使ってミーティングを行う場合には、アメリカ人同士の会話で話されるようなイディオムや口語表現は使用されない。
- ビジネスシーンで用いられる文章は、論文のようなボリュームのあるものではなく、コンパクトにまとまっており、表現も簡潔で明瞭なものである。
- プレゼンテーションの場面においては、図表が用いられることが多い。
こうした調査・分析結果は、TOEIC Programの問題形式や構成に、反映されることになりました。
ETSがTOEIC Programの開発において何より重視したのが、テストの妥当性、信頼性と公平性を確保することでした。妥当性とは、測ろうとしている能力を正確に測定できること、信頼性とは、能力が同じであれば、何度受験しても結果が一定であることを指します。
このうち妥当性については、信頼性が高いほかのテストと相関分析を行い、統計的にも妥当性が高いテストになっているかどうかを分析しました。テストの信頼性については、Equating(スコアの同一化)という手法を採用。テストの設問が異なっていても、同等の英語力があれば、スコアも一定になるように設計しました。さらに、国・地域や文化的な違いなどがあると解答することができないような問題は出題しない、という公平性も追求しました。
TOEIC Programが、その後多くの人に認められ、就職や転職、昇任・昇格などで参考にされるようになったのは、テスト開発の段階で、妥当性、信頼性と公平性をしっかりと確保したことが大きな要因だと考えられます。
世界中で受験されるようになったTOEIC® Program
ETSがTOEIC Programの開発を進める一方で、国内でもテスト実施に向けた準備が進行されていました。
79年、渡辺は世界経済情報サービスの中に、TOEIC運営委員会を設立。委員会は27人の委員で構成され、初代委員長には渡辺自身が就任しました。また後援には、経済団体連合会(現・日本経済団体連合会)や経済同友会、日本貿易振興会(現・日本貿易振興機構)、米国大使館、朝日新聞社など10団体が名を連ねました。
しかし、団体や企業からの支援は得られたものの、運営委員会の活動資金は、決して潤沢ではありませんでした。運営委員会では、後援団体の1つだった朝日新聞社の紙上での広告掲載や、書店店頭での告知、ダイレクトメールの送付や説明会の実施など、限られた資金の中で、できる限りの広報活動を行っていきました。受験地を少しずつ増やし、テストの実施回数を増やすことによって、世の中に広めていけばいいという姿勢でのスタートでした。このようにして、79年12月に、第1回TOEIC L&R公開テストが開催され、その後、着実に世の中に広がっていったのです。
TOEIC Programの公開試験は、第1回のときは5都市でしたが、80年には6都市、90年には20都市、2000年には57都市と増えていき、現在では約80都市で実施されています。1981年には、公開テストに加えて、企業や大学などが団体単位で実施する、TOEIC L&R IPテストも始まりました。
また2001年からは、初・中級英語学習者を対象にしたTOEIC Bridge L&R公開テスト/IPテストを開始。さらに、これまでTOEIC Testsはリスニングとリーディングのみでしたが、07年からは、スピーキングとライティング力を測定するTOEIC S&W公開テストもスタートさせました。これによりTOEIC Testsは、「聞く」「読む」「話す」「書く」の英語4技能を、総合的に測定できるテストへと進化しました(TOEIC Bridge Testsに関しては、19年、4技能にリデザイン)。
なおTOEIC Programの発展に伴い、1986年には国際ビジネスコミュニケーション協会(IIBC)が設立され、以降、当協会が、日本でのTOEIC Programの実施・運営を担っています。
現在、世界で160カ国の方が受験している、TOEIC Programは、ビジネスシーンで必要となる英語力を測るための、「世界共通のテスト」となっています。そしてその第一歩は、北岡靖男と渡辺弥栄司という2人の出会いから始まったのです。
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