パラ競泳選手
木村 敬一さん
1990年滋賀県生まれ。2歳で病気により失明。小学4年生から水泳を始め、筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で水泳部に所属。ロンドン2012パラリンピック競技大会では銀メダルと銅メダルを、リオ2016パラリンピック競技大会では銀メダル2つと銅メダル2つを獲得。18年から2年間、アメリカに活動拠点を移す。東京2020パラリンピック競技大会では、金メダルと銀メダルを獲得。21年紫綬褒章受章。著書に『闇を泳ぐ 全盲スイマー、自分を超えて世界に挑む。』(ミライカナイ)がある。
東京2020パラリンピック競技大会で、金メダルを獲得したパラ競泳選手の木村敬一さん。環境を変えたいと、単身アメリカに拠点を移し、2年間トレーニングを重ねました。その経験は、自分自身の世界を大きく広げる、特別なものになったそうです。
2022年7月号
海外に拠点を移し英語を学ぶ
その経験が自分の世界を広げた
とにかく環境を変えたい一心でアメリカへ活動拠点を移す
水泳を始めたのは小学4年生の頃です。2歳のときに病気で失明しましたが、元々体を動かすのが大好きだったので、すぐ泳ぐことに夢中になりました。中学校に入ると実力もついてきて、3年生のときにはアメリカで行われたジュニアの国際大会に参加。それが初めての海外体験です。この頃から、英語が話せたら色々な国の選手と交流できていいなという思いはありましたが、それで英語の勉強をがんばったかというと、そんなことはありませんでした。
2008年、17歳で北京2008パラリンピック競技大会に出場し、次のロンドン2012パラリンピック競技大会では銀メダルと銅メダルを獲得。そして3回目のリオ2016パラリンピック競技大会で、僕はただ1つ、金メダルを目指しました。しかし、結果は銀メダル2つと銅メダル2つ。4年間つらい練習に耐え、やれることは全てやってきたのに、それでも金メダルに届かなかった。それは大きなショックで、次に向けてそれまで以上にがんばるのは無理だと心が折れてしまいました。
環境を変えて、もう一度新しい気持ちで水泳と向き合いたい。昔から漠然と海外に憧れを抱いていたので、今がチャンスだと思い、拠点を移すことを決意しました。正直、より良い練習環境を求めて行くというより、現状から逃げ出したいという感覚でした。トレーニングがうまくいかなくても、海外で新しい生活をすることで得られるものがきっとある。人生トータルで見たらその方がいいに違いないと思いました。だから、英語ができないとか目が見えないことに対する不安より、ワクワクした気持ちの方が大きかったですね。とはいえ海外にツテなどありません。思い浮かんだのは、大会のときに挨拶を交わす間柄だったアメリカ代表のブラッドリー・スナイダー選手。早速、SNSを使い、勇気を出してつたない英語で彼に連絡を取ってみると、なんと快くコーチと練習場所を紹介してくれることになったのです。
自分に関係のある身近な語彙を増やしていった
18年4月、アメリカ東海岸・ボルチモアに単身で引っ越し、スナイダーの恩師であるブライアン・レフラーコーチの下でトレーニングを始めました。並行して現地の語学学校にも入学。この学校では全盲の学生を受け入れるのは初めてで、先生やクラスメートたちも協力してくれて、点字パソコンを持ち込み、ほかの学生と一緒に授業を受けました。当時、英語の実力は高等学校卒業レベルで自信がなかったのですが、様々な国から来た学生の中には英語が全くできない人もたくさんいて、僕はすぐに上のクラスに上がりました。
しかし、英語の環境にいるだけで自然と話せるようになるのは子どもだけだと痛感しました。僕はもう20代後半だったので、努力して身につけようとしなければ向上しません。そこで1人のときは、ひたすら語彙を増やすことに注力しました。できるだけ自分に関係のあるパラリンピックや地元ボルチモアに関連する記事などを点字で読んで、次の日に語学学校や水泳の仲間との会話で話題にすることで、日常生活で使える単語を増やしていったのです。
トレーニングでも、最初はコーチの指示が聞き取れなくて困ることがありました。ゆっくりのペースでいいと言われたのに、1人だけフルパワーで泳いで疲れ果てたこともあります。それでも基本はマンツーマンの対話だし、自分もよく知っている範囲で話ができるので徐々に慣れていきました。パラリンピック選手でアメリカ代表のマッケンジー・コーンがトレーニングパートナーになって、明快な英語でサポートしてくれたのも助かりました。
大変だったのはオフの時間です。ネイティブスピーカーの友人が何人かで雑談を始めると、会話についていくのは至難の業でした。またあるときは、マッケンジーと一緒に小学校にパラリンピアンとして講演に行ったのですが、子どもの英語はとてもブロークンで、こちらに気を遣ってしゃべってはくれないので、本当に聞き取りにくい。それをマッケンジーに分かりやすい英語に直してもらって僕が答えると、今度は僕の発音が彼らに通じないんです。仕方なくまたマッケンジーに英語から英語に通訳してもらって、その場を何とか乗り切りました。
それから、盲学校のイベントを1人で手伝いに行ったときも、英語で苦労しました。目が見えない人同士のコミュニケーションは言葉が全てです。逆に言うと、言葉が分からないとどうしようもない。自分からお願いして手伝いに行ったのに英語による意思疎通が難しく、あまり役に立てなくて悔しい思いをしました。それでも助けてくれる人は必ずいて、最後はみんなと仲良くなれていい思い出になりました。
英語の勉強を続けるコツは明確な目的を持つこと
20年3月、新型コロナウイルス感染症の影響で予定を早めて帰国することになりました。単身アメリカ生活は2年で終わりましたが、僕の人生の中でとても濃厚で特別な経験になりました。英語が通じないこともしょっちゅうあったけれど、それでも日々、成長を実感できました。全部がうまくいかなくても、自分がやれることをやればそれでいい。そんな余裕と自信が生まれて、それが水泳にも良い影響を与えたと思います。
21年8月、延期の末に開催された東京2020パラリンピック競技大会で、僕は念願の金メダルを取ることができました。大会期間中、短い時間ではありましたが、スナイダーやマッケンジーと再会できたのが何よりうれしかったです。
僕の場合はもう一度前向きに泳ぐために、思い切ってアメリカにトレーニングの拠点を移し英語を学んだことで、結果的に友人ができ、行ってみたいところも増えて、自分の世界が大きく広がりました。これから英語を勉強しようと考えている方は、ただ英語が話せるようになりたいと漫然と思うだけでなく、英語で何をしたいかをはっきりさせておくといいと思います。そうすれば覚える単語やフレーズのジャンルにも1つの軸ができて、英語をより確実に身につけられるはずです。
それからもう1つ、発音は思っている以上に大事です。文法が合っていても発音が悪いと通じないことが多々あります。僕はスマートフォンの音声入力を英語にして、正しく入力されるまで何度も発音し直して練習しています。これは結構効果があったので、良かったら試してみてください。
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