Global Frontline~グローバルな舞台でチャレンジする人たち~

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「危機感」と「ロールモデル」が自分の世界を広げる第一歩になる

幼少時からサッカー一筋に打ち込んできた萩原望さん。将来の夢はもちろん「プロのサッカー選手になること」。Jリーグのクラブのユースチームにもスカウトされるなど、夢の実現に向かって着実に歩みを進めてきましたが、高校3年生のとき、クラブからプロ契約をしないとの通告を受けます。この挫折の経験が、それまでの自分自身を見つめ直し、これからの生き方を考える契機になったそうです。現在はインドでサッカーを通じた社会貢献活動に取り組む萩原さんに、そこに至るまでのキャリアと今後の目標を語ってもらいました。

    プロフィール
    萩原望(はぎはら・のぞむ)
    岡山県倉敷市出身。3歳よりサッカーを始め、Jリーグのユースチームや大学の体育会サッカー部でサッカーに明け暮れる学生生活を送る。大学卒業後、トヨタ自動車株式会社に入社し、新車需給の調整や市場分析などの業務に従事。3年後に退社し、国際NGOの駐在員としてインドに赴任。現在は外資系会計監査法人のインドオフィスに勤務をしながら、インド最貧州ビハール州でコミュニティ型のサッカーチーム、一般社団法人FC Nonoを運営。サッカーを軸とした教育、栄養、アート事業などを通じてインドの子ども達の夢の実現のサポートを目指して活動している。

    「プロになれない」― 高校3年生で経験した大きな挫折

     3歳のときに初めてサッカーボールを蹴って以来、サッカーの魅力にとりつかれ、一心不乱にピッチを駆け回る日々を送りました。将来の夢は当然、「プロのサッカー選手」。いつかJリーグのクラブに入団し、大観衆の前で大きな声援を浴びてプレーする自分の姿を思い描きながら練習に励んだものです。出会いに恵まれ、中学を卒業する頃には複数のクラブから声をかけてもらい、その中から、当時若手育成に定評のあった大分トリニータを選びました。

     大分での3年間はとても充実した日々でしたが、プロチームへの昇格はかないませんでした。とても失望したし、落ち込みもしました。ただ、それだけでなく、「なぜサッカー選手になりたいのか」という自分の根源を深く考えるきっかけにもなりました。たどり着いたのが、「多くの人に喜びを与えたい」「周囲の人々から認められる存在になりたい」という思いでした。でも、よく考えればこれらはサッカー選手にならなくても実現できることです。人々に大きな喜びを与えて、社会からも高く評価されている仕事は世の中にたくさんあります。そうした仕事に就くことができれば、何もサッカー選手にこだわる必要はないんじゃないか。そう気付いたのです。

     幸いサッカー推薦で受験できる大学もいくつかあったので、4年間の大学生活の間に多くのことを経験して、その中から自分が本当にやりたい仕事を見つけよう。そんな思いを胸に、立命館大学の門を叩きました。

    尊敬できる親友との出会いが危機感に火をつける

     とはいえ、大学入学してすぐ精力的に活動を始めたのかというと、そんなことはありません。言い訳になってしまいますが、私はサッカーのスポーツ推薦で入学しているので、どうしてもサッカー部での活動が中心になってしまいがちです。授業と部活だけで一日の時間の大半がとられ、練習もけっこうハードだったので、空いた時間は休息に充ててしまっていました。そんな中でも、サッカーのほかに新たに始めたことがあります。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への定期募金です。

     京都の街中を歩いているときに偶然、街頭募金活動をしている人たちの姿を見て興味を持ったのです。当時の私は、難民という言葉くらいは聞いたことがあるという程度で、難民問題についてこれといった知識もありませんでした。でも、募金スタッフに話を聞き、難民の人たちの苦しい境遇や劣悪な生活環境などを知り、彼らのためにできることがあるなら何かしたいと思い、毎月一定額を募金することにしたのです。この募金は社会人になっても継続しました。そして、私のキャリアの転機に少なからぬ影響を与えることになるのです。

     大学入学時の初心を本格的に実行に移したのは、2年生になってからです。きっかけは、いまでは親友となった人物との出会いです。彼とは同じ大学の同級生で、共通の友人の紹介で知り合いました。話してみると、高校生の頃からジャマイカで野球を普及する活動をしたり、大学では地理学専攻だったため、スラム研究のために南アフリカでフィールドワークを行ったりしている、非常に行動的でエネルギッシュな人物だったのです。

     同じ学年にこんなにすごい人がいるのか。そう感心すると同時に、大学入学前の決意を忘れて漫然と日々を送っているも同然の自分が情けなく感じたのです。彼のように海外に足を運ぶのは部活動の関係で難しいかもしれないが、国内にいたままでも彼のような広い視野と行動力を身につけることはできるはず。そのためにできることは何でもやろう。そう強く思いました。

     人がそれまでの自分の殻を破ろうと動き出すきっかけは、「危機感」と「ロールモデル」の存在だと考えています。私の場合、このままではいけないという思いはずっと心の奥底にわだかまっていましたが、行動に移すには至らなかった。それが親友というロールモデルを得たことで前に踏み出す意欲が沸き上がってきたのです。

     その日を境に、何かに突き動かされるようにさまざまなことにチャレンジし始めました。

     新たな活動の中心となったのは、ボランティアです。大学では社会学部に在籍していた関係で、先生が地域のボランティア団体の人々を招いて、その活動内容を授業の最後にスピーチしてもらうことがよくありました。その中で興味を持った団体の活動に参加させてもらったのです。主に携わったのは、不登校児の支援や通信制高校に通う学生向けのキャリア教育などです。実は、大学入学時に将来は教師になりたいと思い、教職課程を履修していました。そうした事情もあって、ボランティアでも教育分野への関心が特に高かったのです。

    トヨタ自動車を3年で退職して海外に飛び出す

     大学卒業後は、トヨタ自動車に就職しました。トヨタを選んだのは、就職活動中に出会ったトヨタ社員の皆さんが尊敬できる人たちばかりだったこと、世界各国で事業を展開するトヨタの一員として海外で自分の可能性を試してみたいという思いからです。教職に進むことも、もちろん考えたのですが、「トヨタ社員から教師への転職」と「教師からトヨタ社員へのキャリアチェンジ」の難度を比較したとき、前者のほうがハードルが低いと判断しました。打算的と思われるかもしれませんが、将来の可能性を考慮しつつ自身のキャリアを考えることも大切ではないでしょうか。

     トヨタでは、日本国内市場の新車需給の調整や市場分析などの業務に従事し、上司や同僚にも恵まれ、とてもよい環境で仕事をさせてもらいました。ただ、ぼんやりと「いつかは海外勤務を経験したい」という希望がある中、初期配属の部門で海外に関わる業務に就くにはおおよそ10年近く時間を要することを知った上に、目の前で取り組んでいる業務に対しても心からの情熱を捧げることができない自分に悶々としていました。そんな中、定期募金の返礼として毎月届くUNHCRの活動をまとめた冊子を見ているうち、自動車ビジネスを通じてではなく、直接的に途上国の人々を支援する環境に身を移したいという気持ちが強くなり、とりわけ国連で働きたいという熱意が高まってきたのです。

     結局、トヨタには3年勤務して退職、国連職員になるための第一歩としてアメリカで大学院進学を目指しました。国連職員になるには、修士号以上の学歴と国連での職務に関連した分野での3年以上の実務経験が必要だったからです。しかし、希望する大学院への進学は残念ながらかなわず、翌年に再挑戦するか、先にどこかで実務経験を積むか考えた末、ちょうど職員を募集していた日本のNGO団体の存在を知って応募したところ、採用されました。NGOでは半年ほどの国内勤務を経て、インド東部のビハール州に派遣されることになります。

     ビハール州はインドでも最貧といわれるほど貧しい地域です。私はそこで有機農業の普及支援プロジェクトに携わります。私が参加した時点で、プロジェクトは3年計画の3年目に入るところだったのですが、個人としても、団体としても思うような結果を残すことはかないませんでした。

     有機農業は通常の農薬を用いる農業と比べて手間がかかりますが、その分、収穫された作物の付加価値も高まり、生産者はより多くの収入を得ることが期待できます。でも、現地の人々は農薬を使ったほうが仕事が楽になるのに、なぜわざわざ余計な手間のかかる方法を用いるのかと納得できていない様子でした。また日本式の栽培方法を浸透させるのも簡単ではなく、多くの要因がプロジェクトの進捗を妨げていました。また、農業バックグラウンドを持たない自分にとってもとてもチャレンジングな職場環境で、専門性の大切さを痛感しました。国際協力に限った話ではありませんが、ボランティア事業の難しさを改めて思い知った経験でした。

    インド最貧の地域で見つけた「本当にやりたいこと」

     その一方で、インドでは自分自身の進むべき道と情熱を見出すこともできました。私は仕事の合間などにサッカーボールを蹴って遊んでいることが多かったのですが、それを見た現地の子どもが「サッカーを教えてほしい」と言ってきたのです。こうして屋外サッカースクールが始まりました。最初は2,3人だったのが、口コミで「生徒」が増えていき、やがてはチームがつくれるほどに。チーム名は「FC Nono」。その由来は、生徒の一人がTシャツにマジックで「FC Nono」と書いているのを目にしたことです。「Nono」とは、私がアメリカ在住時に現地の友人につけてもらったあだ名で、インドでもその名で通していました。

    Team FC Nono

    Team FC Nono

     サッカースクールを通じて関係を深めていくにつれ、子どもたち、とりわけ女の子の置かれた境遇に疑問を抱くようになりました。それはひと言でいえば、「努力が報われない環境」です。

     日本で生まれ育った私たちは、程度の差はあれども「努力すれば報われる」と信じています。もちろん、頑張れば必ず目標がかなうわけではありません。私もプロサッカー選手になるため必死に努力しましたが、実現できませんでした。でも、その過程で得たさまざまな財産は現在でも私の支えになってくれています。だから努力は報われると信じられる。ところが、彼女たちはそうではないのです。

     幼いころから家事の手伝いや年少のきょうだいの子守などに追われ、自分の好きなことや興味があることを楽しむ余裕もなく育ち、十代半ばくらいになれば自分の意思とは無関係に親が選んだ相手と結婚させられる。そんな環境では、自分で何か目標を定め、チャレンジしようという意欲は養われません。何より問題なのは、彼女たち自身も周囲の大人も、そうした境遇を仕方のないことと受け入れてしまっていることです。

     これをなんとか変えることはできないか。努力すればそれだけ可能性が広がっていくと子どもたちが信じられるような社会にできないだろうか。そんな思いが強くなってきたのです。そして、その思いを実現するための活動のベースとすべく、FC Nonoを一般社団法人として組織化しました。

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    細やかで丁寧な指導を行う

     ビハールでの有機農業プロジェクトの期間満了とともに、私は日本に帰国することになっていました。しかし、誕生して間もないFC Nonoを放ったらかして離れたくありません。私はインドに滞在し続けるため、NGOを辞めて現地で新たな仕事を探すことにしたのです。そして、FC Nonoの運営にも役立つ会計などの知見も高められて一挙両得だと思い、現地の会計監査法人系のコンサルティング会社に就職。以来、FC Nonoの代表との二足のわらじの生活を続けています。

     最初は娘を参加させたがらない親御さんも少なくありませんでしたが、時には私自身も生徒とともに家事の手伝いをするなどして信頼を深め、徐々に女の子の参加者も増えていきました。FC Nonoの立ち上げからおよそ2年が経過した現在、延べ200人あまりの子どもとサッカーを通じて交流し、日印併せて14人のチームメンバーに活動を支えてもらっています。活動の幅も広がり、地域の子どもたち向けのサッカースクール以外にも、孤児院でのサッカー指導や刑務所での更生指導、衛生・栄養啓発活動なども行っています。また、活動の拠点とすべく、全寮制の女子サッカーアカデミーの開設に向けてビハール州政府スポーツ省との協議も進めています。

     そうした中、リーダーとしてグループを率いる立場となって感じるのは、一般企業と非営利団体でのリーダーシップのあり方の違いです。企業での業務は、そこに所属する誰もが「やらなければいけないこと」という意識で基本的には取り組んでいます。リーダーもその前提で行動します。でも、非営利団体では「やらなければいけない」意識が希薄になりがちです。そのため、誰もやらないまま放置されてしまうことがけっこうあるのです。厄介なのは、やらなくてもそれなりに物事が進んでしまうことで、だからといって放置しておいていいわけではない。それをどう理解してもらうかが課題なのですが、私は言葉で説明するのではなく、自分が率先して行動するようにしています。それを見て、現地で活動するスタッフも少しずつ変わっていってくれると嬉しいですね。

     最後に、FC Nonoの今後の展望をお話しします。私はこのプロジェクトを3つのステップに分けて考えています。第1ステップは、参加してくれた子どもたちの自信と権利意識の向上を図る。第2ステップでは、その中から地域のリーダー的役割を担える人材を育成します。彼らにはロールモデルとして、第1ステップの拡大に協力してもらいます。そうやって広げた人材プールから、高等教育へと進む子どもを一人でも多く輩出することが第3ステップ。教育によって、自分たちを取り巻く環境を変えなければいけないという危機感をより高められるのではないかと期待しています。

     私がやろうとしていることは、自分では変えることのできない問題を抱えるインドの子どもたちが、自らの意思で将来の選択を行っていくことのできる環境づくりです。一朝一夕に成果が出るとは思っていません。長い目で目標を見据えつつ、これからも一歩ずつ地道に取り組んでいきたいですね。

    楽しそうに指導を受ける子供たち

    楽しそうに指導を受ける子供たち

    ――萩原さんが大切にしていること

    インドでは自分もインド人だと思うようにしています。日本人的価値観から見ると、インドはずうずうしい・常識がないと思われる人が多いです。私がバイクで街中を走っていると、知り合いのインド人に「そこまで送ってくれ」と呼び止められることがあります。そして、送ってあげると、お礼も言わずに去ってしまう。礼儀知らずなのではなく、彼も逆の立場なら当然のこととして送るので、お互い様なのです。こうした彼らの価値観を受け入れ、自分もそれに従って行動することが、現地に溶け込む上で大切だと感じます。

    インタビュー動画

     

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