Global Frontline~グローバルな舞台でチャレンジする人たち~
世界を舞台に活躍できる役者として成長していきたい
プロフィール
大野拓朗(おおの・たくろう)
立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウェルネス学科在学中の2009年、第25回ミスター立教に選出される。10年、映画『インシテミル~7日間のデス・ゲーム~』にて俳優デビュー後は、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』(15年)や『西郷どん』(18年)など、数多くのテレビドラマや映画、舞台などに出演。14年から3年間、NHK教育テレビジョンの情報バラエティ『Let's天才てれびくん』のMCを務めるなど、幅広い活躍で人気を集める。19年12月から7カ月間、アメリカでの語学留学を経験する。
退路を断って単身渡ったニューヨーク。猛勉強で英会話スキルが急上昇
留学先は、ロンドンとロサンゼルス、ニューヨークで悩みましたが、これから先も俳優として生きていくならアメリカ英語を身に付けたほうが役立つし、せっかくならブロードウェーをはじめとする多種多様なエンターテインメントに触れたいと考え、ニューヨークに決めました。
渡米したのは19年12月。その半年ほど前に、それまで所属していた事務所を退所しています。何もそこまでしなくてもと思われるかもしれませんが、ものにならなかったとしても日本に戻れば仕事があるという環境に甘えたくなかったのです。目的がはっきりしていたので、悩みや迷いはありませんでした。個人的には、それほど重い決断だったわけではないのです。
ニューヨークでは、知人のつてで紹介してもらったブルックリンにあるアメリカ人男性の家にルームシェアさせてもらいました。午前中は語学学校、午後はマンツーマン指導の英会話教室、それ以外の時間は食事と入浴と睡眠を除き、すべて英語の勉強に充てるという生活でした。授業と自習を合わせれば、毎日14~15時間くらいは勉強していた計算です。浪人時代でも、そこまで勉強した経験はありません。退路を断ってアメリカに来ているので、やるしかないという意識が強く働いたのでしょうね。
僕の勉強法は復習が中心です。語学学校の授業で先生が話した言葉や教科書でわからなかった単語などを全てノートに記して覚えます。そうやって覚えたことを午後からの英会話教室で実際に話すのです。そこでも言いたかったけど出てこなかった言葉や表現などがあれば、その場で先生に教えてもらったり、自分で調べたりして、ノートにまとめて覚え、次の授業で話してみる。その繰り返しです。
大学受験でも、解けなかった問題に繰り返し取り組んで正答できるようになることで、徐々に成績が向上していくものですが、それは英会話学習でも同様のようです。語学学校のクラスは、生徒の英語レベルに応じて4つに分けられていて、僕は一番下のクラスからスタートしています。でも、この勉強法を続けていると、1カ月で一つ上のクラスに上がり、さらに1カ月後にはもう一つ上のクラスに上がることができました。先生たちからも異例の昇級スピードだと褒められ、鼻が高かったですね。最終的には、その上の最上位クラスに進むこともできたのですが、上から2番目のクラスを受けもっていた先生がとても気の合う人だったし、卒業が近かったこともあり、最後までその先生のクラスに留まることにしました。
語学学校と英会話教室以外にも、少しでも生きた英語に触れる機会をつくりたくて、図書館などで開催している「英語を学ぶ会」のようなものにも何度か参加しました。簡単に説明すると、英語のネイティブ・スピーカーではない人たちが集まって、英語でコミュニケーションを取りながら、互いの親睦を深めつつ、英語力も高め合うための会合です。「Meetup」などのコミュニティづくりのプラットフォームをチェックすると、よく見かけます。
人前に出る仕事をしているので意外に思われるかもしれませんが、僕はけっこう人見知りで、出不精なタイプなので、日本にいるときは友人と一緒に食事に出かけることすら稀でした。まして、知らない人ばかりの集まりに一人で参加するなんて、考えられません。でも、目的がはっきりしていると、自分でも驚くくらい積極的に行動できるのだから不思議なものです。
原動力は、今日しゃべれなかったことを明日は絶対しゃべれるようになってやる、という気持ちです。ニューヨークで暮らし始めた当初は、「いりません」すらどう伝えればいいのかわからず、「ノー・サンキュー」を繰り返すばかりでした。でも、以前言えなかったフレーズが自然に口に出せるようになると、上達が実感でき、もっと英語を自在に話せるようになりたいと思い、学習意欲がさらに高まります。そうした良いサイクルをつくれたことが、英語力の急速な向上につながったのだと思います。
新型コロナウイルス(COVID-19)が留学生活に与えた影響
留学期間は、当初は9カ月間を予定していました。語学学校は、1カ月間の休暇を含めて7カ月間で卒業するカリキュラムでした。それプラス、学生ビザで渡米すると卒業後に2カ月間滞在できる分を合わせて、計9カ月というわけです。
留学先にニューヨークを選んだのは、ブロードウェーで本場のミュージカルや演劇を鑑賞する目的もあったとお話ししましたが、在学中は観光目的で出歩くことはほとんどありませんでした。英語のセリフが理解できるようになってからのほうがより深く味わえると思い、卒業後の楽しみに取っておいていたのです。でも、その日が訪れることはついにありませんでした。新型コロナウイルス感染症の世界的パンデミックが発生したためです。
20年3月半ばからニューヨークはロックダウンとなり、劇場はどこも閉鎖され、演劇を楽しめるような状況ではなくなってしまいました。語学学校や英会話教室も閉鎖され、授業はオンラインのみという状況が7月に卒業するまで続きました。学ぶ内容に変わりはないのですが、飲食店がテイクアウトとデリバリー営業のみに制限されたため、放課後に友人とお茶をしたり、バーで親睦を深めたりすることができなくなってしまったのが残念です。また、日本の友人・知人から、アメリカ在住の人をたくさん紹介してもらっていたので、訪ね歩いて話をするのを楽しみにしていたのですが、それもほぼ全てお流れに。
ただ、ネガティブな出来事ばかりだったわけでもありません。語学学校の先生がとてもフレンドリーな人で、外出禁止令が緩和されてくると、先生が生徒に声をかけ、近所の公園に集まって、散策したり、ランチやお茶を楽しんだりしながら会話をする機会を何度か設けてくれたのです。参加者は多くても僕を含めて3~4人だったので、先生とじっくり英語で話ができました。語学学校の集団授業ではそんな機会はほとんどありませんし、英会話教室でも、授業時間は1時間程度です。でも、このときは5、6時間付き合ってくれることもあったので、どんな勉強よりも、濃密な英語学習ができました。
日米両国を行き来しながら、活躍できる俳優を目指す
新型コロナウイルス感染症の影響で、楽しみにしていた劇場巡りができなくなったこともあり、予定を早めて語学学校卒業と同時に帰国しました。ありがたいことに、渡米前と変わらないくらい仕事のオファーは続々といただけていますが、僕自身の仕事への向き合い方はけっこう変化したように感じています。とにかく仕事が楽しくて仕方がないのです。わずか7カ月間の留学生活でしたが、それでも、これからは世界中どこの国でも生活していけるという自信がつきました。それが、仕事を楽しむ余裕を生んだのだと思います。
帰国後は、芝居って、こんなに面白いんだと再確認する毎日です。そして、俳優という素晴らしい仕事に就けたことを感謝するとともに、この仕事で世界中を飛び回れるようになりたいという思いをより強くしています。その思いを実現するため、来年1月には再び渡米する予定です。今度は1年くらい腰を据えて、演技のレッスンやオーディションを受けるなどして、アメリカでの足場を少しでも固めることができればと考えています。将来的には、1年の半分は日本で、半分はアメリカで仕事ができるようになれば理想的ですね。
――大野さんが大切にしていること
アメリカで生活していて感じたのは、日本人に対するイメージのよさです。日本人だというだけで、礼儀正しく、誠実だと思ってもらえて、親切にしてくれる人がとても多い。これは、かつて世界に飛び立った先輩たちが長い年月をかけて築き上げてきた財産です。この財産をさらに価値のあるものに高め、後輩たちにつなげることに貢献していきたいですね。
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