Global Frontline~グローバルな舞台でチャレンジする人たち~
人類共通の課題「孤独」をテクノロジーの力で解決したい
プロフィール
結城明姫(ゆうき・あき)
高校時代に流体力学の研究を行い、2006年の高校生科学技術チャレンジ(JSEC)で文部科学大臣賞、YKK特別賞をダブル受賞。インテル国際学生科学技術フェア(ISEF)出場を目前に結核に倒れ長期入院を経験するが、翌年同大会に再出場し、グランドアワード優秀賞に。07年のISEFではStudent Observerとして参加。国際基督教大学(ICU)教養学部に入学後、ノーベル賞受賞者を招いて行われるAsia Science Camp2009にてBronze Medalを獲得。同大学卒業後の12年、吉藤健太郎、椎葉嘉文両氏とともにオリィ研究所を設立。University College London(UCL)Innovation Management Major交換留学生。19年に、Forbes Japan 30 Under 30 サイエンス部門選出。
- 目次
- 戦略・ビジネスモデル創出力
- 個としての軸
入院中に感じた孤独感が起業のきっかけになった
私は子どもの頃から好奇心旺盛な性格で、興味を持ったことは何でもトコトン突き詰めて探求するタイプでした。高校時代には水道の蛇口から流れる水の中に空気の柱が見えることを不思議に思い、そこから独自に流体力学の研究に取り組んだこともあります。その研究成果を朝日新聞社主催の科学コンテスト「高校生科学技術チャレンジ(JSEC2006)」で発表したところ、文部科学大臣賞をいただくことができました。その際、後に共同でオリィ研究所を設立することになる吉藤(健太朗・現オリィ研究所代表取締役CEO)が、同コンテストの歴代受賞者の一人として祝辞を述べるために来場していたことがきっかけで彼と知り合いました。ただ、そのときは二言三言、言葉を交わしたくらいで、将来、共にビジネスをすることになるとは想像すらしていませんでした。
JSEC2006で受賞したことで、アメリカで行われる「インテル国際学生科学技術フェア(ISEF)への出場資格を得ました。英語でスピーチができるようにTOEIC Testsの勉強にも力を入れるなど、その日が来るのをとても楽しみにしていたのですが、思わぬ形で大きな挫折を経験してしまいます。なんと直前になって結核を患ってしまったのです。
隔離病棟での入院とその後の自宅療養と合わせ、治療期間は約半年にも及びました。当然、ISEFには参加できませんでした。そのことにももちろんガッカリしましたが、闘病中、何よりつらかったのは、学校に行ったり、遊びに出かけたり、友人と会ったりできないことでした。思うように動かすことのできない体をベッドに横たえながら何をするともなく一日を過ごしていると、強烈な孤独感に襲われることが幾度となくありました。身体的制限が理由でやりたいことがやれない辛さを骨身に染みて理解できました。そして、この時の経験が現在のビジネスにつながっていくことになります。
長い療養生活の末、ようやく健康を取り戻した私は、リベンジというわけではないのですが、翌年もJSECに参加しました。幸い、再び賞をいただくことができ、ISEFにも参加することができました。そこで再会した吉藤と何度か話す機会があり、彼がロボットエンジニアで、さまざまな人の分身として活用できるロボットを開発していること、その背景には過去に不登校やひきこもりによって孤独感に苦しんだ経験があることなどを知りました。
吉藤が考えていた分身ロボットというのは、人型をした情報端末で、カメラとマイク、スピーカーが搭載されていて、インターネットに接続することで離れた場所にいる人とリアルタイムでコミュニケーションがとれるというものでした。その人が物理的に近くにいなくても、その場にいるように存在感を感じられるロボットです。
吉藤から分身ロボットの話を聞いたときに感じたのは、「これって、私が療養中に欲しかったものだ」「あのとき、このロボットがあれば学校にも行け、ISEFにも参加でき、つらい孤独も感じなかったのでは」といった思いでした。私は運よく健康な体に戻って自由に活動できるようになりましたが、病気や障害などのさまざまな理由で孤独に苦しんでいる人は、日本にも世界にも数えきれないほどいるはず。そう吉藤に言ったことから、オリィ研究所がスタートしました。
持続可能なプロジェクトにすべくビジネス化を図る
とはいえ、最初はビジネス化を前提に考えていたわけではありません。当時、私は高校生で、最初は学生同士が集まった非公式な活動でした。
現在の弊社のメインプロダクトである「OriHime」の最初のプロトタイプができたのが2009年のこと。それをベースにブラッシュアップを重ねて机の上に載る大きさのOriHime1号機が完成したのが2010年でした。
OriHimeのプロトタイプができたとき、自由に外出できない境遇の人に貸し出し、実際に使っていただいた上でその感想をフィードバックしてもらい改善に役立てるという取り組みを行ったことがあります。知り合いの医師のつてで入院中のお子さんがいるご家庭を紹介してもらい、協力していただいたのですが、非常に好評でした。お子さんは「久しぶりに家族一緒にテレビを観ることができた」、親御さんは「子どもの存在を近くに感じられた」などと言って、とても楽しんで使ってくれたのです。最初は1週間の予定だったのですが、期間の延長をご希望され、結局そのお子さんが退院するまで3週間お貸しすることになりました。
OriHimeは確かに人に喜んでもらえるものだと確信しました。このプロジェクトを持続可能なものにしたいと思い、会社を立ち上げてビジネスにしようという話を吉藤に持ち掛けたところ、吉藤も賛同してくれてプロジェクトは加速しました。
当時、私は国際基督教大学(ICU)の2年生でした。高校生の頃と比べれば、ビジネス関係の知識も多少は増えてはいたものの、まだ自分自身で起業するには知識も経験も足りなかったため、本を読んだり、大学の授業で教授と議論したり、会社化に必要な勉強に励みました。大学3年生のときに一年間、イギリスのロンドンに留学したのもその一環という側面があります。
イギリスは私が幼い頃に家族とともにしばらく過ごしたことのある馴染みの地であったことや、受け入れ先となる学校の中でユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)がICUと同じくリベラルアーツ重視の学校で専門科目以外にもさまざまな教養を身につけることができそうだったことなどから留学先に選びました。
UCLは世界各国から留学生を受け入れています。さまざまな国籍・人種の人々がOriHimeをどう受け入れてくれるか興味もあったので、OriHimeも一緒に渡英したのですが、想像以上に好意的な反応を示してくれました。人型のロボットなので自律型のAIを搭載していると思われがちで、遠隔操作で動かしたり、操縦者の声を届けたりできることに驚く人が多かったですね。OriHimeが会話のきっかけになってコミュニケーションが深まることも多く、友人づくりの一助にもなってくれました。
ちなみに当時の私の英語力ですが、海外で学生生活を送る分には、オンタイムでもオフタイムでもそれほど困らない程度のレベルはありました。高校時代、ISEFに参加するために英会話の勉強を始めたという話を冒頭で述べましたが、実はその後も英語の勉強はずっと続けていました。勉強は独学で行って、TOEIC Testsで高得点を目指すことも良い目標になり、モチベーション高く勉強を続けることができました。英語の勉強に限りませんが、定期的に試験を受けることでそれまでの学習の成果が確認できますし、点数が前回を上回っていれば自分の進歩を実感できてやる気がさらに増します。また、ICUには英語で行われる授業もいくつかあったので、それらを積極的に選択したことも英語力の強化に役立ちました。
おかげで英語力には不安を感じることなく留学に臨めたのですが、実際に現地で生活してみると、語学力とは別の面で現地の人とのコミュニケーションに戸惑いを感じることが時折ありました。現地の人たちはあらゆる場面で自分の意見をはっきりと主張します。私は日本にいる頃から相手や場面を問わず、臆せず積極的に発言するタイプでしたが、それでもあまりの押しの強さに面食らうことがなかったわけではありません。引っ込み思案な性格の人ならかなり苦労することになるのではないでしょうか。海外留学に際しては、言語だけでなく、コミュニケーションのスタイルの違いにも適応する心構えが必要かもしれませんね。
そのためには、個としての軸をしっかりと確立しておく必要があります。私は語学力というのは「外見」のようなものだと考えています。どんなに外見が整っていても、中身が伴っていなければ、本当に魅力的な人とは言えません。それと同じで、どんなに英語が達者でも、話す内容があやふやだったり、相手の心に響くような言葉が言えなかったりすれば、実りあるコミュニケーションはできないものです。コミュニケーションにおける外見と中身の両方を磨き上げることで、世界中のどこの国でも活躍できる人財になれるのではないでしょうか。
記事の感想やご意見をお送りください
抽選で毎月3名様にAmazonギフトカード1000円分をプレゼントします
キャンペーン主催:(一財)国際ビジネスコミュニケーション協会
AmazonはAmazon.com, Inc.またはその関連会社の商標です。
- 1
- 2