Leader's Voice
「世界に出る」と強く願うこと。自ら道を切り開くエネルギーはそこから生まれてくる
プロフィール
鳥居 正男(とりい・まさお)
1947年、神奈川県生まれ。1971年、ロヨラカレッジ経営学部卒業。1975年、上智大学国際学部経営学修士課程修了。1992年、ハーバードビジネススクールAMP。1971年、日本ロシュ入社。社長室長、試薬部長等を経て、1992年、常務取締役。1993年、ローヌ・プーラン ローラー社長。1995年、シェリング・プラウ社長。2011年より現職。
- 目次
- 個としての軸
- コミュニケーション力
良い企業風土が良い結果を生み出す
大学を卒業して以来ずっと、外資系製薬会社でキャリアを積んできました。新卒で入社した日本ロシュ、社長になったローヌ・プーラン ローラー、シェリング・プラウ、そしてべーリンガーインゲルハイム ジャパン。このうちべーリンガーインゲルハイムの特徴を挙げるなら、第一に株式を公開しない企業形態であることでしょう。上場企業では顔の見えない多くの株主の期待に応えるために短期的なアクションを取らざるを得ないことが多いのですが、当社は顔の見える株主会のもと長期的な視点に立った経営ができます。新薬の研究開発はもちろん、人材育成も、社会貢献活動も、腰を据えてじっくり行うことができる。それが、いい製品を生み、患者様のお役に立つことにつながるのだと信じています。
職場環境でいうと、一般的な外資系のイメージとは裏腹に、社歴が長い人が多いという特徴があります。実は3年前、入社の際にドイツの本社のトップとお会いしたときに私は「信頼できる」と直感しました。率直に言って、とてもいい印象を受け、それまでの私の人生の価値観にぴったり重なると感じたんです。ベーリンガーインゲルハイムには、4つのValues、すなわち「配慮」「信頼」「共感」「情熱」がありますが、すべてが人と接するときの態度を示している。そこがユニークだと思います。売り上げや利益は、その「結果」として後からついてくる。これは、私がいままでのキャリアを通じて学んできたことそのものでもあります。
「いい仕事、新しい仕事」だけを考えて没頭した
海外で働きたいと考えるようになったのは高校3年生のときです。英語の成績がよかったこともあって、まず留学のチャンスが多い上智大学に進学しました。米国に発ったのは大学3年次の終わり。実は、日本ロシュへの就職も出発前にほぼ決まっていました。というのも、留学から戻るのは他の学生が就職活動を終えている時期。そうなると、留学前に就職先のメドをつけておく必要がありました。
私の希望は「外資系で働きたい」。やはり海外と接点のある仕事がしたかったからです。若いうちからいろいろな経験を積みたい、大きな仕事がしたいという気持ちもありました。だったら、日本の大企業よりも外資系企業がいいだろうと。
そこで大学に相談すると、紹介されたのが日本ロシュだったというわけなんです。挨拶に行くと、当時のスイス人社長のドクター デュプリが「よく来てくれました」と歓迎してくれましてね。2年後、留学から帰ってきたときも快く迎えてくれました。役員たちが全員並んでいるところに、私の成績表を回しながら「このヤングマンが欲しい者はいるか?」というんです。そのとき手を挙げてくれたのが、当時ナンバー2で後に日本ロシュの社長になった医薬品本部長のロイエンベルガーさんでした。
これが42年にわたる製薬業界でのキャリアの始まりです。ですからはじめから製薬業界を目指していたわけではありません。別の会社を紹介されていたら、そこに入社していたのかもしれません(笑)。人生というのは、わからないものです。
しかし私のキャリアのベースになったものは、すべてここでつくられたように思います。もっと言うと、ロイエンベルガーさんから学んだことが非常に大きかった。
入社後1年は、日本人の上司のもとで市場調査を担当しました。「社会人になると自由な時間がなくなる」と言いますが、まさにそのとおり。朝から晩まで自分の席でデータ分析をしていると、一日がとても長く感じられる。一日が終わると疲れ切って死んだように寝てしまう。そんな毎日だと、モチベーションを維持できなくなります。でも、自分なりに工夫しました。留学経験を活かして市場調査レポートを英文で提出し、ロイエンベルガーさんに読んでもらったんです。彼はいつも「いいレポートだね、次は何をやるんだ」と評価してくれました。
それが認められたのでしょう、入社2年目に、ロイエンベルガーさんから「アシスタントにならないか」と抜擢されました。以来、ロイエンベルガーさんとは合計7年間仕事をしました。彼が医薬品事業の責任者だったころは、毎週開催される部門会議の議事録を英語でまとめたり、日本市場の分析や年間予算案のエグゼクティブサマリーをつくったり。彼が社長に就任すると、私は社長室長になりました。
いま思えば、ロイエンベルガーさんに仕え始めた瞬間から私の世界が変わった。定型的な仕事をする毎日だったのが、いろいろな仕事がどんどん入ってくるようになりました。社長室長になってからは、経営会議に出席して議事録をとる、社長用スピーチをつくる、社外での通訳を務める。主要事業以外の新たな事業が立ち上がると、いつも私のところにもち込まれてきました。
もう、必死で働きました。当時は、自分が経営者になれるとも、なろうとも考えたことはなく、手抜きをせずに仕事をしたい、そうしていい仕事、新しい仕事をしたい、そんな気持ちが強かったことを覚えています。
ロイエンベルガーさんという素晴らしい上司に恵まれたこともあります。彼がすごいのは、部下に仕事を任せきるところです。例えば、私が書いた議事録にはいっさい手をいれませんでした。レポートを出しても、誰に話を聞いたとか、どうやって資料を集めたとか聞かない。内容を見てよければサインをする。つまり、私のことを全面的に信頼してくれたということです。そうなると私はますます真剣に仕事をし、全力を尽くすようになります。私が人より早く成長できたのだとすれば、それはロイエンベルガーさんの期待に応えたかったからでしょうね。いま、経営者になってみると、改めて彼のすごさがわかります。今でも、こんなとき彼ならどうするかなとよく考えるんです。私にとって、経営者のロールモデルは、間違いなく彼だと言える。なかなかマネできなくて、困ってしまうのですが(笑)。
気遣い、礼儀作法が大切なのは海外も同じ
これまでさまざまな国籍の上司のもとで働いてきました。スイス人、フランス人、アルゼンチン人、パキスタン人、アメリカ人、ドイツ人。そのなかで私が学んだのは、国や性別よりも、その個人がどんな考え方をする人なのか敏感に察知することの大切さです。ロイエンベルガーさんのように任せきりの人もいれば、細かく報告を求めてくる人もいる。でも、相手の期待に応えられれば信頼を得られる、という点では変わりありません。相手が何人であっても、人間どうしの信頼があれば仕事はうまくいきます。
ほかにも多くのことを学ばせてもらいましたが、意外だったのは英語を使うからといって自己主張すればいいのではないということ。英語にも礼儀作法、気遣いがあるんです。反対意見を言ったり、批判したりするときも、マイルドな表現を使って相手を傷つけない配慮をします。「その意見もいいけど、こういう見方はしたことはあるかな」という具合です。
これは日本人が英語をしゃべろうとするとき、忘れがちな部分です。相手が欧米人になった瞬間、つい直接的で攻撃的になってしまう。私自身、大失敗したことがあります。アメリカでの会議で、当時のナンバー2が日本企業との提携について日本の商習慣について意見を述べていた。それがどうもポイントがずれていると感じたんです。つい「That's not correct.(それは正しくない)」と口にしてしまった。そうしたら場が静まりかえって……。
一般論として「外資系企業では、自分の意見をしっかり伝えることが求められる」と言われます。それは「自分の意見を論理的に話す」という意味では、そのとおりです。しかし、礼を失してはいけない。日本以上に、海外では言葉に配慮を求められると考えたほうがいいですね。
海外に行くと、トップ層にいくほどそうした配慮が深い印象があります。言葉づかいだけではありません。いつもゆったり構えているところも、配慮の深さを感じます。忙しいはずなのにせかせかしていません。私がドイツの本社にいっても、ゆったり迎えてくれる。今日は10分しかないというときも「みんな元気ですか」「日本の経済の状態はどうですか」などと始める。いつでも目の前にいる人に集中してその時間を大切にする。これは要するに、人間としての教養の深さ、余裕がなせる技なんですね。余裕がないと話しているときにもつい他の仕事のことを気にしてしまう。これは私自身、日々戒めているところです。
それから、みなさん謙虚です。威張っていない。アシスタントに仕事を頼むときも丁寧です。とても忙しいはずなのにゆっくりと説明している。私も謙虚であろうと思っています。たまたま私はいい上司、いいタイミングに恵まれて社長という役職についていますが、現場の社員たちの頑張りがなければ、会社は成り立たない。この感謝をいつも社員たちに伝えたいと思っています。未熟な私は忙しさにかまけてつい伝えきれないことがあるのですが、そのたびに反省しています。
「正解主義」を捨てなければ日本人は負ける
これからグローバルに活躍しようと考えているみなさんに伝えたいのは、自分の願望を強くもってほしい、ということです。実現のための強い意志と願いをもっていれば、実現できないものはない。英語にしてもうまくなりたいと思えばきっとなれるはずです。高校時代、私は確かに英語が得意でしたが、あくまで受験英語。大学に入るまでひと言も話すことができませんでした。でも海外に行きたいと思って、ESSに入部したんです。英語が上手な先輩がたくさんいましたよ。部室に入れば英語で話す。役割があれば立候補する。強烈な願望があれば、そんなふうに自分から成長する機会がめぐってきて活かせるはず。それが第一のアドバイスです。
日本の歴史や文化の勉強もしてほしい。多文化、多言語である昨今の環境で活躍するには、まず原点としての自国を知らなければいけないでしょう。同時に日本の外で起きていることに関心をもつことも大切です。
それから、コミュニケーションにおけるタフさを身に付けること。日本人が外国語で仕事をするのはやはりハンディがあります。このハンディを克服するには、まず自分の意見をしっかりもって、それを論理的に表現すること。でもそれだけでは足りません。特に欧米の人びとはタフです。長い会議をやってもまったく疲れを見せない。それでも絶対に自分は負けないんだ、絶対伝えるんだという意志、それを貫くためのエネルギーが必要です。私はいまでもドイツの本社に出張するときは、到着した瞬間にギアを上げます。会議の前には「今日はしゃべるぞ」と心に決める。日本にいるときと比べて、3倍ぐらいのエネルギーがいりますね。
正直に言って、日本人のコミュケーション力は明らかに弱い。周囲の外国人が「普段は話さない日本人が話しているんだから、聞いてあげようか」といった配慮をしているのを感じるほどです。その根本的な要因として、英語力の不足もありますが、日本人の「正解主義」が大きいのではないかと思っています。日本人はいつも正しいことを発言しようとする。でも欧米では正しい意見よりも「自分の意見」です。いま、ビジネスで求められているのは「自分の意見」。なにしろ、昨今のめまぐるしく変化するビジネスに正解はありません。正しいことにこだわっていると、何も発言できず議論に参加できない。それはすなわち、何も意見がないと見られてしまうことになります。
私自身、グローバル企業で働く人間としてまだまだです。ロイエンベルガーさんのような経営者に憧れながらも、とても届きません。英語力も、話す、聞くは何とかなっても、読みのハンディは大きいです。グローバル会議でその場で資料を渡されると、周りに比べて数倍の時間がかかっている気がします。
でも、成長したいと強く願っています。英語もネイティブのように話したい、彼らのように書きたい、読みたいと思っています。いまでも、英文雑誌やメールなどにいい英語表現を見つけたらすぐマネしますし、同じ会議に私より英語がうまい日本人がいたらちょっぴり悔しい(笑)。これからも手抜きをせず、努力を続けるのみです。
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