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株式会社島津製作所 代表取締役社長 上田輝久 氏「科学者の情熱と経営者の矜持を胸に、世界を舞台に事業展開」株式会社島津製作所 代表取締役社長 上田輝久 氏「科学者の情熱と経営者の矜持を胸に、世界を舞台に事業展開」
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科学者の情熱と経営者の矜持を胸に、世界を舞台に事業展開

各種分析・計測機器、医療や航空分野に欠かせない精密機器などのリーディングカンパニーであり、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の存在でも知られる島津製作所。この世界的企業を率いるのが、自身も工学研究者である上田輝久社長だ。科学技術とマネジメント、日本と海外、専門分野と未知の領域、さまざまな境界を飛び越え、50代の若さで社長に就任した上田氏が語る、充実のキャリアパス構築へと導く自己研鑽のヒントとは?

    プロフィール
    上田 輝久(うえだ・てるひさ)
    1957年、山口県生まれ。大学4年のとき、物質を成分ごとに分離する「液体クロマトグラフィー」という技術に出合う。82年、京都大学大学院工学研究科修士課程を修了し、島津製作所に入社。95年、京都大学博士号(農学)取得。89年から2年間にわたり、米カンザス大学との共同ラボのマネジャーを務める。分析機器事業部LC部長、LCビジネスユニット統括マネジャー、分析計測事業部品質保証部長、執行役員分析計測事業部副事業部長、取締役分析計測事業部長を経て、2015年6月より現職。

    コテコテの日本人 VS コテコテのアメリカ人

     充実したキャリアライフを歩むうえでは、「それぞれの年代で経験しておくべきこと」があると思います。例えば30代では、海外に飛び出し未知の世界で苦労する。40代になったら頭を上げて周囲を見渡し、それまで無我夢中で目に入らなかった「あれ?」と思うようなことを探してみる。すると50代になって、物事の本質や問題解決の道筋が、するすると解きほぐれるように見えてくる。今、自分の経験を振り返ってみると、本当にそうだったなと、面白く思うのです。

    アメリカでのマネジャー時代に、文化背景が異なる相手とのコミュニケーションの大切さを学んだ経験が、その後の仕事に活きていると語る上田さん。

    アメリカでのマネジャー時代に、文化背景が異なる相手とのコミュニケーションの大切さを学んだ経験が、その後の仕事に活きていると語る上田さん。

     カンザス大学と当社との共同ラボを立ち上げるために、私がアメリカに単身赴任をしたのは1989年のことです。当社の主力事業に、液体クロマトグラフという分析機器がありますが、これが海外でも急速に伸びている時代でした。そこへ製薬学の世界的権威だったカンザス大学の故タケル・ヒグチ教授が、全米ナンバーワンの分析センターをつくりたいと言って、液体クロマトグラフに定評のある当社に声をかけてくださったのです。それなら大学時代から液体クロマトグラフィーの研究をやっている上田が適任だろうというので、私が派遣されたというわけです。
     カンザス大学との共同ラボは、アメリカ人、イラン系とアルゼンチンからの博士研究員、3名の実験助手、そして私ともうひとりの日本人という8名体制で運営していました。たかだか10人足らずとはいえ、国籍もバックグラウンドもバラバラな人たちを、ひとつにまとめていくのは容易ではありませんでした。マネジャーという肩書はついていても、当時の私はせいぜい32、3歳。率直にいって地獄の日々です。周りで起きることといえば、10のうち9までが悪いこと。問題に直面しても、若くて経験も十分ではない私には、もがく以外に術がない。
     30年前のアメリカには、まだ人種差別的な空気も残っていました。そこまであからさまではないまでも、「何で日本人に使われなきゃいけないんだ」という雰囲気は、ラボのアメリカ人関係者の間にもうっすらとあったのです。
     私はコテコテの日本人でしたが、周りも私に負けないコテコテのアメリカ人です。よく「異文化理解」などといいますが、自分が知らない世界のことなど、どちらもまるで分かっていません。
     だったら、自分が相手を理解しようとするだけではダメだ。相手にも自分を理解してもらわなくてはいけない。悩みながらもそう考えるようになり、仕事が早く終わると、ラボの仲間を誘って、寿司屋に連れて行くようになりました。そして一緒に寿司を食べながら、「日本というのはこういう国なんだよ」と、いろいろな話をしたのです。みんなとても喜んでくれて、いつの間にか隣のラボの人たちまで集まるようになっていきました。

    国境を越えた研究者や仲間との交流が、事業にも好影響

     チームの雰囲気は、良い方向へと変わりました。もちろんその後もたまに、小さな不協和音が生じることはありましたが、そういうときは率直に、「さっきちょっとおかしな雰囲気になったよね。ああいう場合、日本人はこういう感覚で行動しているんだけど、アメリカ人はどうなの?」と聞くのです。すると相手も、「アメリカ人の感覚ではこうだ」と話してくれるのでした。相互理解が進むにつれて協働はうまく回り始め、お互いをよく知るには、仕事以外にもたくさん話をしたほうがいいと、30代の私は学んだのです。
     たくさん話すことには、ふたつのメリットがあります。ひとつは相互理解の促進ですが、もうひとつ、やはりたくさん話したほうが英語も上達します。
     その英語については、85年にニューヨークの国際学会で論文発表したときに、ネイティブの英語と、日本で習った自分の英語とのあまりのギャップに衝撃を受け、それから必死に勉強を始めました。
     今もごくまれに、自分は理系だから英語は関係ない、などという声を耳にすることがありますが、これはとんでもない間違いです。技術を囲い込むような時代ではなく、国境を越えた研究者同士の交流も活発になる一方ですから、英語ができない研究者はたちまち取り残されてしまいます。
     液体クロマトグラフの国際シンポジウムを通じて、私はアメリカやヨーロッパの研究者たちと、親しくなっていきました。学会で来日した研究者たちを京都観光に案内するなど、専門分野の外でも、親交を温める機会は案外たくさんありました。
     当社のアメリカ支社やヨーロッパ支社の幹部とは、カンザスにいる間に親しくなりました。私の帰国後も、彼らが日本に来るたびに、「国際会議」と称して社内でたくさん議論をし、彼らの要望を反映させた製品の開発が始まりました。このサイクルをつくったことで、支社の人たちのモチベーションは上がり、会社全体の業績も向上していきました。
     グローバル社会で活動するには避けて通れない英語、「科学技術」という技術者同士の共通言語、そしてカンザスのラボで私が学んだように、文化背景が異なる相手に伝わる“ことば”で話す工夫。どれも大切なコミュニケーションツールだと思います。

    どんな仕事にも真摯に向き合う姿勢は日本企業の強み

    小さな仕事、面倒な仕事も真摯にやり遂げる姿勢は、海外でもお客様に評価され、チャンスをいただくことも珍しくなかったと語る上田さん。

    小さな仕事、面倒な仕事も真摯にやり遂げる姿勢は、海外でもお客様に評価され、チャンスをいただくことも珍しくなかったと語る上田さん。

     液体クロマトグラフの仕事では、私たちはお客さんの要望を積極的に取り入れて、完成度が高く、非常に競争力の強い製品を世に出してきました。その同じ液体クロマトグラフの構成ユニットのなかに、分析する試料(サンプル)を装置に自動で導入するオートサンプラーというユニットがあります。このオートサンプラーには、前に分析したサンプルがごくわずか残り、直後のサンプルと混ざってしまう現象がつきものでした。
     あるとき私たちはお客様から、この現象を低減化する製品をつくらないかと提案されました。この開発能力があるのは、島津製作所とアメリカの競合2社だけです。でも、こんな細かい仕事はアメリカのメーカーはやりたがらないだろうから、ぜひ島津にやってもらいたいというのです。
     2年以上かかりましたが、私たちはこれもやり遂げました。すると驚くことに、新製品の発表前から、問い合わせの電話が入り始めたのです。お客様自らが、「今度島津が出すオートサンプラーは、絶対におすすめですよ」と、製薬業界の集まりで宣伝してくれていたのです。
     口コミというのはこういうことなのですね。お客様の満足度を追求した製品、お客様の要望のさらに上を行く製品を目指してつくっていくと、黙っていてもお客様自身が宣伝してくれる。どんなに小さな仕事、面倒な仕事にも、真摯に取り組みやり遂げる姿勢は、私たち日本企業の強みです。その真摯さがチャンスを導いてくれることは、珍しくありません。

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