Global Frontline~グローバルな舞台でチャレンジする人たち~
世界中に日本の焼き肉文化の魅力を広めたい
プロフィール
石田傑(いしだ・すぐる)
早稲田大学教育学部卒業後、株式会社博報堂に入社。大手自動車メーカーや飲料会社、食品会社などのセールスプロモーションを担当する傍ら、年間150店もの焼き肉店を食べ歩いてはブログで情報発信する日々を送る。2007年に博報堂を退社し、ブロガーのネットワークをベースにマーケティングを行う株式会社食レコの創設に参画する。14年、かねてより温めていた日本の焼き肉文化を海外に伝えるプランを実行すべく食レコを退職し、Yakiniquest Pte. Ltdを設立。15年1月29日、シンガポールに「BEEF YAKINIKU DINING YAKINIQUEST」を開店。
趣味で始めた食べ歩きが、ブログブームで注目を浴びる
焼き肉は子どもの頃から好物でしたが、今のように魅了されていたわけではありません。「はまった」きっかけは、1996年に大学を卒業後、就職した広告代理店で先輩社員に有名焼き肉店に連れて行ってもらったことです。焼き肉って、こんなにおいしいものだったんだと初めて気付かされ、すっかりとりこになってしまいました。以来、仕事後に焼き肉店の食べ歩きをするのが趣味になり、多い時は週に6 、7店、年間で150店ほど巡っては、料理の写真を撮影し、味や店の特徴の感想などのメモを添えてエクセルにまとめていました。
当時は現在のようにSNSが普及しておらず、集めた情報を世間に発表する手段も乏しければ、その気もありませんでした。純粋に趣味でやっていたことだったのですが、思わぬ形で役に立つことに。ブログブームが盛り上がった2004年のことですが、焼き肉の食べ歩き仲間6人でホームページを立ち上げて情報発信しようということになり、私がこれまで蓄積してきた焼き肉店の情報を基にコンテンツを作成したのです。公開後、当時、国内で随一の閲覧数を誇っていた堀江貴文さんのブログで紹介され、サーバーがパンクするほどアクセスが集中。ホームページへの注目度はにわかに高まり、私も「食ブロガー」として知名度を上げる大きなきっかけになりました。ちなみに、ホームページの名称は「YAKINIQUEST(ヤキニクエスト)」。私が現在経営する焼き肉店の店名の元になっています。
海外で焼き肉店を開くという新たな目標が芽生える
仕事が終わったら焼き肉店に赴き、おいしい焼き肉を存分に味わい、その感想をブログに書く。そんな日々が続く中で、私は焼き肉の奥深い世界にますます引き込まれていきました。やがてただ自分が楽しむだけでは飽き足らなくなり、焼き肉の魅力をもっと大勢の人と共有したい、この素晴らしい日本の焼き肉文化を海外の人にも知ってもらいたい。そんな思いを強くしていきました。そこで、07年に10年余り勤めた博報堂を退職し、ニューヨークのマンハッタンで焼き肉店を開こうと考えて現地を訪れました。
とはいえ、具体的なプランがあったわけではありません。世界に焼肉を広めたいならばニューヨークが一番影響力があるだろう、という狙いはあったものの、当地での飲食店経営の実情などは全く知らず、なんとなくカッコよさそうだからという浅はかな考えがあったことは否めません。しかも、私は高校時代に1年間アメリカのノースカロライナ州に留学した経験があるとはいえ、英会話がそれほど得意というわけではありません。行き当たりばったりだと思われるかもしれませんが、やりたいことがあるならまず行動したほうがいいというのが私の考え方です。
マンハッタンでは、焼き肉店やステーキハウスを食べ歩いてリサーチしたり、現地の不動産事情などを知るため、日本人が経営している建築事務所などに飛び込みで訪ねたりしました。素人がいきなり焼き肉店を経営するのはハードルが高いことが分かり、これは難しいかもしれないと思い始めたところでリーマンショックが発生。アイデアを白紙に戻すことを余儀なくされました。
おかげで何か新たな仕事を探す必要に追い込まれたのですが、幸い、同じ時期に、食ブロガー仲間から一緒に会社を立ち上げないかと声をかけてもらっていました。食ブロガーのネットワークを構築して、それをマーケティングに活用しようというのです。面白そうだと思いましたし、海外で焼き肉店を開くという私の目標にも理解を示してくれ、その目途がついたときには退職しても構わないとまで言ってもらえたので参画することに。そうして誕生したのが、食レコという会社です。
念願だった海外での焼き肉店経営をシンガポールで実現
食レコで働いて数年経った頃、ヤキニクエストのメンバーの一人がシンガポールに赴任することになり、それをきっかけにシンガポールでの開店を検討し始めました。何度か訪れてみて分かったのは、焼き肉店を開くための好条件がそろっているということでした。
まず和牛が輸入できること。外国の牛肉を下に見るわけではないですが、和牛は、タレはもちろん、塩やワサビなどさまざまな食べ方にマッチするのが特徴です。豊富な食べ方のバリエーションを楽しめることは、私が伝えたい日本の焼き肉文化の魅力の一つですから、やはり和牛にこだわりたいのです。
もう一つは、国民の平均所得が高いこと。和牛を日本から輸入して提供するのですから、どうしても価格は高くなってしまう。それでも来店してくれるお客さんが一定数見込めることは、経営の安定に欠かせない条件です。そして、外国資本が100%でも会社を設立できること。また、法や社会のルールがしっかりと整備・運用されているトランスペアレントな社会であることも、私には好ましかったですね。会社設立の要件や飲食店経営に必要なライセンスなども少し調べればすぐに分かったので、起業自体はスムーズに運びました。
難航したのは、店舗探しです。シンガポールは都市国家で国土も狭く、東京のように繁華街があちこちにあるわけでもない。つまり出店できる場所が限られている上、不動産市場に出回る好条件の物件がとても少ないのです。そのため、足元を見られて、ひどい目に遭いかけたこともあります。
あるとき、焼き肉店を経営していたローカルの会社から、会社と店舗をまとめて買い取ってほしいという申し出を受けたのです。良い物件だったので危うく飛びつきかけましたが、よく調べてみると、多額の負債を抱えている会社だということが判明しました。それからが一苦労で、現地の弁護士を間に立てて店舗だけ取得できるように交渉してもらったのですが、法律の専門用語なども絡んでくるため、私の英会話能力では自分の言いたいことも満足に伝えられないし、相手の言い分も十分に理解できない。おまけに、必要な書類の提出を渋られたり、提出してきたと思ったら不備があったりして、事態は遅々として進みません。相当なストレスを感じましたが、そのとき手を差し伸べてくれたのが現地で知り合った人たちです。
この地で焼き肉店を開くと決めてから、私が力を入れたことの一つが、知り合いを増やすことでした。焼き肉店をはじめとする飲食店はもちろん、さまざまな場所に顔を出しては名刺を交換し、自分がこれからやろうとしていることを熱く語りました。そうして知り合いになった人から友人を紹介してもらっては会いに行って話をするということを繰り返しているうちに、多くの人に名前と顔を覚えてもらうことができました。
その中で気付いたのが、現地で出会う日本人はみんな親切だということです。例えば、私が日本で焼き肉店に行って、「自分も焼き肉店を開きたいのですが、どうすればいいですか」と言っても、相手にしてもらえないでしょう。でも、こちらでは皆さん寛容に受け止めてくれます。商売のやり方を教えてくれたり、仕入れ先を紹介してくれたり、親身になって助けてくれるのです。
件の会社との交渉のときも、英語が得意な人が通訳をしてくれたり、有益なアドバイスをもらえたりしたおかげで、どうにか店舗だけを手に入れることができました。私が方々に顔を出して回ったのは、将来、トラブルに巻き込まれたときに助けてもらいたいという下心があったわけではありませんが、人の情けが身に染みた経験でした。
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