Global Frontline~グローバルな舞台でチャレンジする人たち~
IoTを活用した独自のモビリティサービスで社会課題を解決する
プロフィール
中島徳至(なかしま・とくし)
1967年、岐阜県出身。東京理科大学大学院総合科学技術経営研究科修了。1994年、株式会社ゼロスポーツ設立。当時国内を代表する電気自動車ベンチャーとして活動し、電気自動車普及協議会初代代表幹事を務めた。2013年、フィリピンにて電気自動車製造開発を行うBEET Philippines Inc.を設立し、CEO兼代表取締役社長に就任。日系企業として初めて電気自動車ナンバーを取得する。同年、退任し、Global Mobility Service株式会社を設立。世界最大のグローバル起業家コミュニティエンデバー「2018エンデバーアントレプレナー」、Forbes JAPAN「日本の起業家ランキング2019 BEST10」、日経ビジネス「世界を動かす日本人50」に選出、「Morning Pitch Special Edition 2016最優秀賞」、JAPAN VENTURE AWARDS 2019「中小企業庁長官賞」受賞など実績多数。岐阜大学大学院客員教授。
環境問題への関心から20代で起業し電気自動車開発の世界に飛び込む
私はこれまで3社を起業しましたが、社会の役に立ちたいという基本的な想いは変わっていません。20代で最初に立ち上げたゼロスポーツは、日本で17番目の自動車メーカーであり、当時黎明期であった電気自動車の開発にも着手していました。電気自動車に関心をもったきっかけは、オーストラリアの学者から地球温暖化についての講義を受けたことです。これが1990年代当時の私にとってはまさしく「目からウロコが落ちる」体験でした。地球規模で考えたとき、自分のやっていることが10年後、30年後に果たして役に立っているのか。この視点をもったことが電気自動車事業を始める起点となりました。
ゼロスポーツは当時、アメリカのテスラ社に匹敵する技術力をもったベンチャーとして注目を集めていました。しかし、日本とアメリカでは、こうした将来性のあるベンチャーを応援する仕組みが大きく異なっていました。テスラ社は赤字が続いているにもかかわらず数兆円規模の企業に成長しています。これは、政府、投資家、金融機関がその企業価値を認め、形あるものに育てているからです。当時、日本では、こうした「破壊的創造」を生み出すベンチャーを応援する体制が整ってはいませんでした。形のないものは投資の対象になりにくく、形のあるものに育てていく体制が弱い。特に、既存メーカーがひしめく自動車業界では、「破壊的創造」を生み出す新たな技術やサービスをなかなか認めようとはしてくれませんでした。
結果的に、私はゼロスポーツの全事業を譲渡し、譲渡先の一つだった渦潮電機に加わり、電気自動車の事業化を主導するとともに、電動トライシクル(三輪タクシー)を製造・販売するコンソーシアムのリーダーとしてフィリピンに赴きました。そこで創業したのが、2社目のBEET Philippine Inc.です。当時のリチウムイオン電池は「短距離しか走れないクルマ」というレッテルが貼られていたため、日本では、電気自動車が売れづらい状況になっていました。そこで、「日本には電気自動車の市場がない」と考えた人達が、このコンソーシアムを組成し、海外市場に活路を見出そうとしたのです。結果、BEET Philippine Inc.は、後にフィリピン政府入札を受け、多くの電気自動車を販売することができました。
フィリピンに行ったからこそ気づいた現実
フィリピンで私は現地の現実を目の当たりにしました。フィリピンでは、日本のようなバイアスがかかっていないため、1回の充電で100キロ走るならそれで十分という人が多いことに驚かされました。そのうえ、かかる電気代はガソリン代の10分の1。そうなれば、車自体が多少高くても、電気自動車がほしいと誰もが思うわけです。
ところが、車がほしいと思ってもローンを組むための与信審査を通過できない人がたくさんいる。タクシードライバーなど多くの商業ドライバーは、ローンを組めないから新たに車を購入できません。仕事を始めたい人は所有者に高い利用料を払って借りる。そのためいつまで経っても自分の車が持てない。既存のドライバーは新車を買えず、いつまでも古い車を走らせているので、排気ガスや騒音問題は放置されたままです。
政府入札になれば、環境性能の高い車への切り替えは進みますが、受注台数を超えた後や公的資金による支援が終了した後も、一般消費者が“買える環境”をつくらないといけません。私はそれまで、自動車メーカーのトップとして優れた電気自動車をつくることで「社会変革」「社会創造」を実現できると思っていました。でも、それだけでは解決できない世界があることを、現場を知り痛感したのです。これは、日本にいたときには分からなかった。現地に行ったからこそ気づくことのできた事実です。当時すでに40歳を過ぎていた私は、こうした事実に愕然としました。
モノづくりからサービスへ - 新たなビジネスモデル構築により事業が飛躍
現地でドライバーの話を聞けば聞くほど、彼らの努力・働きぶりが可視化される仕組み、そしてそれを豊かな生活につなげる仕組みが不可欠であることを確信しました。そこで私は、GPS搭載のIoTデバイスを車に装着し、自動車ローンの返済が滞ったら遠隔制御によってエンジン起動を停止し、入金があれば車を動かせるようにする仕組みを考えました。現地法人の社長の退任命を受け退社を決意し、3社目となるGlobal Mobility Service(GMS)を起業したのです。
アイディアを形にするには技術が必要です。あらゆるメーカーの車を安全に止める技術がなくてはいけない。開発には1社目での遠隔起動制御技術の開発プロセスが役に立ちました。閉鎖された自社のシステムとして開発するのが当たり前だった当時から、私はIoT時代の到来を予測し、オープンAPIを通じて、プラットフォーム同士をつなげるB to Bのシステムを考えていたのです。
こうして独自のIoTデバイス「MCCS (Mobility-Cloud Connecting System)」を開発し、現地の金融機関とパートナーシップを締結していったのです。現在、フィリピンでは、現地の90%の金融機関と連携する自動決済システムの構築に至っています。IoTデバイスというモノを売るのではなく、サービスとしてのビジネスモデルを実現したからこそ、課題の解決につながっていると確信しています。
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